로그인戴冠の儀の準備が進む広間を離れ、 クラリッサたちは王宮の一角、控えの間に集まっていた。「姉上、父上の様子が変です」「きっと、メモリ・アーカイブをお使いになられたのだわ。 そこで、マリアの支配の記憶が呼び起されてしまった」「父上にはお待ちいただくべきでした」「まだ、戴冠が終わったわけではないわ」 窓の外には、戴冠式の支度に追われる人々の姿が見える。 その誰もが、迷いのない穏やかな表情をしていた。「固定率を、確認する」 エルネストが静かに理紋を展開した。《アナライズ》【対象:王都リオネール/固定率:推定六十一%】「六十一……」 クラリッサの声が震えた。「昨日より、また上がっています」「戴冠の儀が近づくほど――」 ジュリアンが手帳を睨みながら続けた。「固定が加速しているように見えます」「儀式そのものが、固定の《総仕上げ》になっているのかもしれません」 そのとき、ジュリアンの手がわずかに震えた。「……姉上」「どうしたの?」 クラリッサが顔を向ける。 ジュリアンはすぐには答えなかった。 手帳を握り締めたまま、しばらく俯いている。 やがて、彼は額に手を当てた。「僕が……記録喰いとの遭遇で、見た光景」 クラリッサは息を呑んだ。 忘れるはずもない。 あのとき、ジュリアンが見たもの。「大広間の玉座……血まみれの床……」 彼女が言葉を継ぐと、ジュリアンは小さく頷いた。「はい」 そして、一度だけ唇を噛んだ。「倒れているエルネスト殿下。そして――」 そこで、言葉が途切れた。 ジュリアンは静かに顔を上げた。「あの日から、ずっと、内容を明かせずにいました」「でも、今……」 その瞳には、恐怖に近い強い緊張が浮かんでいた。「あの光景が、現実に近づいている気がするんです」 部屋に重い沈黙が落ちた。 クラリッサは、すぐには言葉を返せなかった。 固定率の上昇。 急がされる戴冠式。 そして、ジュリアンが見た未来。 それらが偶然重なっているとは、思えなかった。 エルネストは、しばらく黙っていた。 やがて、静かに口を開く。「見せてくれ」「殿下……」「未来を知って、恐れるより」 彼の声は揺るぎなかった。「知って、備える方がまだましだ」 ジュリアンは手帳を開いた。「僕が見たのは――」「大広間の玉
王都に朝が訪れた。 しかし、その光は祝福とは程遠く、どこか冷たく白々しい。 王宮の大広間には、すでに諸侯たちが集まり始めていた。「本当に陛下が崩御されたのか……」「まだ半日も経っておらぬというのに」「このような早さで戴冠とは聞いたことがない」「レオポルド公爵は地下牢ではなかったのか?」「立会人なき戴冠など、前例があるのか……?」 小さなざわめきは、次第に広間全体へと広がっていく。 誰もが不安を隠せないまま、玉座を見つめていた。 ◆ 控室では、クラリッサたちが静かに様子を見守っていた。「思ったより早いな」 エルネストが低く呟く。「マリアが急がせているのでしょう」 ジュリアンが手帳へ目を落とした。「時間が経てば経つほど、疑問を持つ者が増える。 だからこそ、迷いが生まれる前に戴冠を終わらせたいのです」 そこへ、王国宰相カリドンが静かに歩み寄った。「殿下方」「状況は?」 エルネストが問い返す。「諸侯の意見は割れております」 カリドンは小さく息を吐いた。「アルトリウス殿下を新王として受け入れる者もおります。 しかし、古い家門ほど不審を抱いております」「《記録の守護者》アルベリオン家が立ち会わぬ戴冠など、聞いたことがない、と」 クラリッサは玉座の前へ視線を向けた。 アルトリウスが立っている。 その姿は、王冠を待つ王子というより、どこか裁きを待つ罪人のようにも見えた。 その隣にはマリア。 穏やかな微笑みだけが、場違いなほど揺るがない。「レオポルド公爵閣下」 カリドンが静かに告げた。「今こそ、お姿をお見せください」 公爵はゆっくりと頷いた。 そして、一歩前へ出る。「――しばし、待たれよ」 その一声だけで、広間は静まり返った。「レオポルド公爵!」「ご無事だったのか!」「地下牢ではなかったのか!」 驚きと安堵が入り混じる。 諸侯の視線が一斉に集まった。 その中で、マリアだけが静かに一礼する。「閣下」「よくぞお戻りくださいました」「陛下もきっと、お喜びでしょう」 公爵は真っ直ぐ彼女を見据えた。「マリア殿」「あなたの言葉には、いつも表と裏がある」「今の言葉も同じだ」 広間に緊張が走る。 アルトリウスが重々しく口を開いた。「閣下」「あなたを罪人として捕らえたことは謝罪する」「だ
鐘の音が、王宮全体に重く響き渡っていた。 王の崩御を告げる鐘――。 控えの間へ駆け込んだエルネストは、その音を聞いた瞬間、足を止める。「……本来、ひと月は喪に服すべきであろう」「殿下!」 ガウスが駆け寄る。「エルネスト様、大変なことに――」「わかっている」 その声は静かだったが、怒りを押し殺していることは誰の目にも明らかだった。「だが、母上と父上の最後の対面を邪魔したくない」 しばらくして、扉から王妃セリーヌが姿を現す。 青ざめた顔には疲労が色濃く刻まれていた。「エルネスト……ありがとう」「兄上は立会いなしで戴冠準備を進めるようです」「アルトリウスは、喪に服すつもりもないと……」「お気持ちまでは、分かりません」 クラリッサは首を横に振る。「ですが……迷っておられました。」「最後は、マリア様に押し切られるように……」 エルネストは拳を強く握る。「兄上が、自ら望んだとは思えない。」「だが、このままでは王家そのものの正統性が揺らぐ。」 重苦しい沈黙が落ちる。◇ その時だった。 扉が静かに叩かれる。「失礼いたします。」 入ってきたのは王宮書記官だった。「殿下。重臣方より、王位継承について異議が出始めております。」「異議?」「立会いなき継承だけではございません。」 書記官は視線を伏せた。「本来、王位継承順位は生誕順ではないのか、と」「……待て。」 エルネストの眉が動く。「それなら第一位は私のはずだ。」 書記官は答えられず、静かにセリーヌを見た。 その視線だけで、すべてを悟る。 セリーヌはゆっくりと目を閉じた。「……もう」「隠し続けることはできませんね。」「母上?」 エルネストが戸惑う。 セリーヌは静かに息を吸った。「ルシアンは……私の産んだ子ではありません。」 空気が凍り付く。「本当の母親は、先代王妃様です。」 誰も声を上げられなかった。「ルシアンは、本来――第一王子として生まれた子でした。」 クラリッサは思わず息を呑む。 ジュリアンの手帳が震える。「では……」 エルネストが呟く。「ルシアンは、本来、私より上位継承者……。」「ええ。」 セリーヌは涙を堪えながら頷いた。「先代王妃様は、ルシアンを産んですぐに亡くなられました。」「その直後から宮廷は割れました。」
扉が、大きく開かれた。 部屋の中央――寝台には、静かに眠るような国王オルディアスの亡骸。 その傍らには、アルトリウスとマリアが並んで立っていた。 室内を満たす静寂は、王の死を受け止めきれずにいるかのようだった。「――マリア様」 クラリッサは一歩前へ進み、震える声で問いかける。「今……何と、おっしゃいましたか」「聞こえた通りですわ」 マリアは静かに振り返る。 先ほどまでの動揺は、すでに跡形もなく消えていた。「陛下の最期のお言葉です」「『王として、生きるがよい』――そう、アルトリウス様へ仰せになりました」「それは……」 ジュリアンが思わず声を漏らす。「本当に、そのようなお言葉を?」「ええ」 マリアは穏やかに微笑んだ。 しかし、その微笑みにはどこか哀しみを装った影が差している。「陛下は最期まで、お嘆きでした」「どうして……アルベリオン一族が、この場にいないのか、と」 その言葉に、クラリッサの顔から血の気が引く。(陛下が……)(まるで私たちが見捨てたように聞こえる……)「私を追放して、父様を地下牢に閉じ込め ……その言葉を、今さら口になさるのなんて」「クラリッサ様」 マリアは静かに続けた。「ご自分が罪人として裁かれた立場を、お忘れですか? 私は真実しか申し上げておりませんのに」「あなたは都合よく真実を歪めているだけ」「どうでしょうか?」 マリアは小さく首を傾げる。 責め立てるでもなく、ただ不思議そうに問い返す仕草。 だからこそ、その一言は胸へ深く突き刺さった。「私は陛下をお救いできませんでした」 クラリッサは唇を噛み締めながらも、まっすぐマリアを見据える。「その悔いは、一生消えないでしょう」 一歩、前へ踏み出した。「ですが――」「陛下の最期の願いまで利用されることだけは、決して許しません」 一瞬だけ、マリアの瞳が揺れた。 しかし彼女はすぐに微笑みを取り戻す。「利用……ですか?」「私も、ただ事実を申し上げているだけですわ」「陛下はまだ崩御される病状ではありませんでした」 クラリッサは静かに言葉を重ねた。「だからこそ、お尋ねします」「陛下に、最期まで付き添っておられたのは、誰だったのですか?」「クラリッサ!」 鋭い声とともに、アルベリオン公爵が娘の肩へ手を置いた。 その瞳は静
王宮の最奥部。 王の私室へ続く廊下には、人の気配がなかった。 静まり返っている。 窓から差し込むやけに大きな星だけが、白い床を照らしていた。 王の私室には、静かな空気が流れていた。 寝台に横たわる国王オルディアスは、ゆっくりと目を開く。 その視線は、枕元に立つ二人へ向けられた。「……なぜ、ここに『記憶の一族』がいない」 誰も答えない。 答えられる者が、この場にはいなかった。「レオポルドは……どうした」「父上」 アルトリウスは寝台の傍らへ膝をつく。 王はゆっくりと部屋を見回し、それから静かに目を閉じた。「……そうか」「余が、幽閉したのだったな」 その一言は、誰へ向けたものでもない。 己の過ちを認める、小さな悔恨だった。 傍らに立つマリアは、その変化を興味深そうに見つめる。「まあ……」「蝋燭の最後の輝きのよう。 理紋の力が戻ってまいりましたのね」 王はゆっくりとマリアへ視線を向けた。 その瞳に、かすかな光が宿る。「……この女狐が 国を、ここまでかき回すとは」 激しくせき込み、肩が震える。「陛下、お加減がよろしくないようですわ」 マリアは水差しへ手を伸ばした。 しかし、それよりも早くアルトリウスが手を伸ばす。「私が」 短い一言だった。 王の口元へ静かに水差しをあてる。 マリアは何も言わず、その手を引いた。 一口、水を含んだ王は、小さく息を整えた。「父上」「はい」「アルトリウス、お前には……本来、 何もせずとも『解析』と『共鳴』が集っていた」「争う必要など、なかったのだ」 アルトリウスは目を見開く。「ですが父上、継承はルシアンに……」「そう思わせたのは、余の過ちだ」 王は力なく首を振る。「王は、迷ってはならぬ」「余は……その務めを果たせなかった」 部屋を静寂が包む。 やがて王は、窓の外へ視線を向けた。「今宵は……『星が落ちる夜』だな」 マリアは優しく微笑みかける。「占い師たちが一斉に陛下の運命を占い、 その先が闇に包まれていることを知るでしょう」「ですが、陛下、 わたくしは、ずっとお傍に――」「黙れ」 その声は掠れていた。 それでも王の威厳だけは失われていない。「アルトリウス」「はい」 国王は、静かに、しかし、確かな声で続けた。 窓の外、夜空に無数の
幽閉によって衰弱していたレオポルド公爵を救出し、 一行がセリーヌの私室へ戻った頃には、 すでに日暮れの気配が忍び込んでいた。 扉が叩かれる。「エルネスト殿下」 カリドンの声だった。 張り詰めた響きに、一同は、すぐに顔を上げた。「入ってくれ」 扉が開く。 カリドンの表情は、これまで見た中で、最も硬かった。「王宮より、急使が参りました」「陛下が――」 彼は、一度、言葉を切った。「危篤との、由にございます」 控えの間に、重い沈黙が落ちた。「……いつからだ」 エルネストの声は、抑えられていたが、微かに震えていた。「昨夜半より、容体が急変し、今朝方、侍医が匙を投げたと」「もう、幾日も、保たぬだろうと」「そんな……」 クラリッサは、思わず、声を漏らした。 セリーヌが、青ざめた顔で、扉の陰から進み出た。「私も、共に参ります」「母上」「これ以上、待つわけにはいきません」 セリーヌの声には、これまでにない、強い意志が宿っていた。「たとえ、この身が、どうなろうとも――夫の、最期に、立ち会わないわけには」 エルネストは、しばらく、母を見つめた。 それから、静かに頷いた。「分かりました」「共に参りましょう」◇ 控えの間の隅、レオポルド公爵が、ゆっくりと立ち上がった。「私も、参ろう」「父様、まだ、お体が」 クラリッサが、驚いて振り返る。「大丈夫だ」 レオポルド公爵は、まだ衰弱していたがクラリッサの手を力強く握りしめた。 その笑みは、記憶の中の父のものと、寸分違わなかった。(違和感なんて……気のせいだったの、かしら)(父様は、父様だわ)(そう、思いたい) 彼女は、その考えを、無理やり胸の奥へ押し込んだ。 今は、そんなことを、確かめている場合ではない。 国王の、最期が、迫っている。◇ ガレスが、通路の奥から、足早に戻ってきた。「表門への道は、私が、確保します」「私が、王都に残っていた間の、多少の伝手は、まだ残っているはずです」「頼めるか」 エルネストの問いに、ガレスは、深く頷いた。「これが、私にできる、せめてもの償いです」 その瞳には、もう、迷いはなかった。◇ 一行は、裏路地を抜け、密かに用意された馬車へと乗り込んだ。 カリドンが、御者台に上がる。「王宮までは、通常なら半刻。で







